人生は愛(タイミング)のカタマリだ。

 まず、なんと言っても寝れない。昼夜逆転している。しかしそれを一周させて直すほどの予定が昼間にあるわけでもない。…結果的に怠惰な生活を続けている。

 ぶっちゃけた話、午前2時に布団に入り、半同棲の(とは認めにくいものの事実上はそうなっている)彼氏に何時に起きるのか聞き、目覚ましをセットさせ、寝かしつけ、一方で夜に寝れなくなっている私は彼を起こす8、9時までスマホをひたすらいじっている。
 よくある学生用のアパートのため、部屋はとても冷える。その冷たい空気から逃げようと布団の内側に丸まるものの、たまに寝ながらおならをされる為、布団のなかに彼のおならの臭いが溜まって耐えられない。例えすきで付き合っている彼氏と言えど、おならの臭いをいい匂いだとは思わない。だから、その度にふとんから顔を出す。
 しかしやはり空気は冷たい。それでもあのくさいとしか言いようのないおならの臭いにつつまれているよりは、冷たくても酸素があって臭くもない布団の外の空気のほうが何倍も良い。
 そしてまた臭いが逃げたタイミングで私は布団に丸まりこんでスマホをいじりだすのだ。まさにイマココ!というやつである。


 前置きが長くなったが、私がジャニオタを認め始めてからまだ4年しか経っていない。何年までが“まだ”で、何年からが“もう”なのかはわからないし、おそらく正解はないのだと思うが、私はまだ4年と考えている。

 私が自分をジャニオタだと認めることになったきっかけは大学に入学し、ジャニオタが周りに増えたことだと思う。
 実は、も何も隠してはいないが、NEWSについては高校時代にはまり、高校3年のころに6人体制最後のライブ(LIVE!LIVE!LIVE!)に参戦している。
 しかし、当時は“ジャニオタ”ならびにアイドルオタクは恥ずかしいものだというイメージが強かった。クラスにいたAKB48オタクの男の子は見た目にも気を遣う洒落っ気のある子だったが、それでもアイドルオタクということをずっといじられていた。(≠いじめられていた。)
私はそうはなりたくなかった。すきなものはすきだ。いじられたくない。そのため、私はジャニーズというアイドルがすきなのではなく、NEWSがすきなのだと言っていた。隠してはいなかったが、今ほど公にはしていなかった。

 また、前述した理由に加え、仲の良い友人たちは総じて“腐女子”であったからというのも大きい。そのため、ジャニオタであることを公言してメリットになることが一切なかったのだ。
 しかし大学に入ると変わった。ジャニオタがたくさんいたわけではないが、別にそれでもいーんじゃない?という風潮がとても強かった。
 大学柄かもしれないが、普通にアニメオタクも漫画オタクも、腐女子もいる。むしろオタク気質じゃない人のほうが少ないのではないかと思うくらいに、オタクに溢れている。
 ここでようやく「ジャニオタでもいいんだな」という気持ちになった。


 また、大学進学時に入居した大学の学生寮の近くの部屋の子がNEWSファン仲間だった。そしてしかもその子は学年で35人しかいない同じ学科の子だったのだ。ここで私は初めて現実で母親以外のジャニオタと仲良くなった。そしてその子が同じNEWSファンだったのだから運命を感じた。笑
(これが本当にすごいことだということがうまく伝えられないのが悔しい)


 そして大学1年の夏頃に学生寮(と言うかもはや官舎)から引っ越した。集合住宅なためにBSが観られるようになった。
 また、家に縛られることがなくなり、東北から関東に出てきたことによって、ライブへのフットワークが軽くなった。これがのちのち非常に大きな要因となる。

 そして、大学2年になったくらいのころから、入学して一ヶ月後にびっくりのスピードで付き合い始めた彼氏とうまくいかなくなってきた。そして何故かよくわかんない男性に気に入られ、暗黒の1年が幕をあげた。一生涯の恋愛沙汰のごたごたをつめこんだような1年だった。
 が、これは自慢でもなんでもなく、本当にひとつの理由だ。なにしろここからはもう空いた時間や心の隙間隙間にジャニーズが入り込んできた。そしてその隙間を一番埋めてくれたのが、前述したBSだ。少年倶楽部だ。もう自分でも気持ち悪いくらいはまった。

 当時は重岡大毅ジャニーズWEST・当時7WEST)の「負けへんでベイベー」と、どの放送回のかは忘れたが中間淳太ジャニーズWEST・当時B.A.D)の「愛してんで」(LET'S GO WEST~K A N S A I !!~内の間奏部分のセリフ)をひたすら繰り返していた。この2つは特別枠だが、とにかく7WESTとB.A.Dがだいすきだった。

 また、フットワークが軽くなったことにより、今は亡き「J Ticket(正しい表記かはわからない)」にお世話になることが多くなった。その中で初めてとれたチケットがSexy Zoneだった。
 他にも、友人に誘われ「JohnnysWorld(これも正しい表記かはわからない)」に行ったことも大きい。
  
 ここからもうジャニーズ沼にずぶずぶはまっていったことは言わずもがなである。

 その過程で元々サークルの同期だったeighterを色んな所に連れ回し、同時に連れて行ってもらい、そんなこんなで今に至る。
 2月も3月も既に現場が決まっている。卒業が危ういが、今はもうそれだけでしあわせだ。